利用者:加藤勝憲/古典講習科
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古典講習科(こてんこうしゅうか)は、1882年(明治15年)5月30日に東京大学文学部に本科とは別に付設された教育組織[1]。
設置の経緯
[編集]明治10年代初頭の東京大学文学部は洋学尊重の時代的風潮に影響されて和漢文学を専攻する学生は乏しかった。これを憂えた東京大学法理文三部総理だった加藤弘之の明治14年の建議が発端となり、小中村清矩の尽力によって文学部に古典講習科が付設された[1][2]。修業年限は3年[3]であった。本科に比してこの科に学ぶものが多落合直文らの実力を有する学者が輩出して、古典研究の発展に寄与するものが少なくなかった。
組織
[編集]設置当初は甲部と乙部の名称で2科構成されたが、後に名称をそれぞれ国書課と漢書課と改めた。
【文学部】
和漢文学科 -------------------- 和文学科
-------------------- 漢文学科
古典講習科 ------ 古典講習科甲部 ---- 国書課
------ 古典講習科乙部 ---- 漢書課
学生
[編集]本科に比してこの科に学ぶものが多く(明治17年、国書課 53(給費22 自費31、漢書課 57(給費21 自費36))[4][1]、落合直文、池辺義象、赤堀又次郎らの実力を有する学者が輩出して古典研究の発展に寄与するものが少なくなく、また今泉定助らの国学に基づく政治思想家も卒業生の中にいる。
廃止
[編集]影響
[編集]服装規定
[編集]当時の東京大学には制服規定によって制服・制帽が定められていた。文部省に伺いをたてたところ[5]、古典講習科生徒などについては「別課医学生製薬学生及古典講習科生徒ハ制服制帽ヲ着用スルヿヲ得ズ」(大学院分科大学々生服制之件達、明治19年4月28日)と達しが返ってきて[6]着用を免れた。
脚注・参考文献
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c 藤田『古典講習科の展開』、101頁。
- ^ 『東京大学百年史 部局史 1』、713頁 。
- ^ 『東京大学百年史 部局史 1』、416頁 。
- ^ 『東京大学所蔵中央大学関係史料』〈中央大学史資料集 第3集〉、225頁 。
- ^ 『東京大学百年史 資料 1』、845頁 。「「別科医学生製薬学生及古典講習科生徒ハ制服制帽着用不差許候様致度候也」」
- ^ 『東京大学百年史 資料 1』、846頁 。
参考文献
[編集]- 藤田大誠「明治国家形成と近代的国学構想--古典講習科の展開・終焉と國學院の設立」(PDF)『明治聖徳記念学会紀要』第40号、明治聖徳記念学会、2004年12月、100-139頁、ISSN 09160655、 オリジナルの2016年1月14日時点におけるアーカイブ、2024年6月29日閲覧。
- 東京大学百年史編集委員会 編『東京大学百年史 部局史 1』東京大学出版会、1986年 。
- 東京大学百年史編集委員会 編『東京大学百年史 資料 3』東京大学出版会、1986年 。
- 中央大学百年史編集委員会専門委員会 編『東京大学所蔵中央大学関係史料』中央大学大学史編纂課〈中央大学史資料集 第3集〉、1988年 。