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愛国飛行場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
『愛国切手』(1937年発行)

愛国飛行場(あいこくひこうじょう)とは、1930年代以降の大日本帝国で献納された飛行場につけられた名称。

概要

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帝国飛行協会がこれを推進し、300箇所の献納を目指していた[1]。着工に至らなくても、埼玉県比企郡松山町(現・東松山市)のように測量のみが行われたケースもある。

また航空政策の管轄官庁でもあった逓信省[2]が献金に協力し、1937年6月1日発行に日本初の寄附金付切手である「愛国切手」を発行した。この切手は3種類の額面と刷色が異なる切手であり、募金を呼びかけるものと同時に、売上金の一部を献金するものであった。なお図案は北アルプス上空を飛行するダグラス DC-2型輸送機を描いたもの。

主な愛国飛行場

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脚注

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  1. ^ 戸坂潤『現代日本の思想対立』1936年12月[1]、2009-10-30閲覧。
  2. ^ 戦後の郵政省運輸省を併せたような官庁で、総務省国土交通省が後継。郵政民営化までの郵政省と同様に、今は日本郵便が行なっている業務も担当していた。
  3. ^ 開場式を挙行、総合運動場も設ける『大阪朝日新聞』昭和9年5月22日香川版(『昭和ニュース事典第4巻 昭和8年-昭和9年』本編p50 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)

関連項目

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