コンテンツにスキップ

本間聡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
本間 聡
基本情報
本名 本間 聡
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1968-05-19) 1968年5月19日(56歳)
出身地 新潟県新潟市
所属 ゼンショー総合格闘技部
正道会館
身長 183cm
体重 93kg
階級 ライトヘビー級
バックボーン 修斗
テンプレートを表示

本間 聡(ほんま さとし、1968年5月19日 - )は、日本男性総合格闘家新潟県新潟市出身。正道会館所属。

来歴

[編集]

少年時代からプロレスファンで、大学進学後に修斗入門。

1990年5月、富士豊戦でデビュー。川口健次山田学らと共にライトヘビー級で試合を重ねた。

1992年11月に行なわれた川口とのライトヘビー級チャンピオンシップは一方的に追い込むがドロー裁定に終わり、観客からの不服の声に創始者の佐山聡が「私が見ても誰が見ても本間選手の勝ち」と発言したが、その後確約された川口へのタイトル挑戦が実現せずに修斗を離脱。平直行が所属するゼンショー総合格闘技部へ移籍、リングスを主戦場とする。

1994年には平と共にゼンショー総合格闘技部を離脱、正道会館系のフリーとなった。リングスとK-1で2度に渡って行なわれた成瀬昌由戦ではそれぞれ勝利を収めた。1995年1月にはトーワ杯カラテジャパン・オープンにも出場、重量級で3位入賞。

1995年12月にK-1で行なわれたアルティメット特別ルールでレネ・ローゼに一方的に敗戦し、しばらく試合から遠ざかるが、1998年10月に3年ほどの沈黙を破ってPRIDE.4に出場。プロレスラーの佐野友飛(当時髙田道場所属)にTKO勝ちし復活をアピールしたものの、翌年開催のPRIDE.5ではフランシスコ・ブエノにTKO負け、以後リングスでリー・ハスデルとドローなど精彩を欠き、2000年4月14日に日本で開催されたUFC 25でのロン・ウォーターマン戦を最後に引退、故郷の佐渡へと戻った。

2004年7月にはZSTのジェネシスバウト(アマチュアマッチ)に出場した。

戦績

[編集]
総合格闘技 戦績
13 試合 (T)KO 一本 判定 その他 引き分け 無効試合
4 1 3 0 0 3 0
6 2 2 2 0
勝敗 対戦相手 試合結果 大会名 開催年月日
× ロン・ウォーターマン 5分3R終了 判定0-3 UFC 25: Ultimate Japan 3 2000年4月14日
× フランシスコ・ブエノ 1R 4:59 TKO(スタンドパンチ連打) PRIDE.5 1999年4月29日
佐野友飛 1R 9:25 TKO(パウンド) PRIDE.4 1998年10月11日
× レネ・ローゼ 1R 2:48 KO(右ストレート) K-1 HERCULES '95 1995年12月9日
成瀬昌由 1R 19:02 TKO K-1 REVENGE II 1995年9月3日
成瀬昌由 30分1R 終了 ロストポイント1-2 FIGHTING NETWORK RINGS 1994 RINGS IN YOKOHAMA 1994年8月20日
× 木村浩一郎 3分5R+延長R終了 判定 RINGS BATTLE SHOT at NIIGATA 1993年12月25日
秋山文生 2R 1:25 TKO RINGS 後楽園実験リーグ '93 ROUND 5 1993年9月10日
奥田康則 1R 2:57 ヒールホールド RINGS 後楽園実験リーグ '93 ROUND 4 1993年8月6日
川口健次 3分5R終了 判定0-0 プロシューティング
【ライトヘビー級チャンピオンシップ】
1992年11月27日
× 山田学 3R 腕ひしぎ十字固め プロシューティング 1992年3月27日
× 川口健次 3分5R終了 判定0-3 プロシューティング
【ライトヘビー級チャンピオンシップ】
1991年10月17日
山田学 4R 腕ひしぎ十字固め プロシューティング 1991年8月3日
石川義将 2R 腕ひしぎ十字固め プロシューティング 1991年5月31日
東条孝 1R 腕ひしぎ十字固め プロシューティング 1990年11月28日
× 草柳和宏 1R 1:17 三角絞め プロシューティング 1990年9月8日
富士豊 2R 2:36 腕ひしぎ十字固め プロシューティング 1990年5月12日

脚注

[編集]

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]