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永池 筑後(ながいけ ちくご)は、戦国時代の武将。相良氏、日向伊東氏の家臣。日向国の中世史料である『日向記』には“長池刑部少輔”と記載される。
初め肥後国の相良氏に仕えていたが、天文14年(1545年)に父と共に相良治頼の乱に加担した。しかし乱は失敗し、筑後は日向に逃亡した。
その後は日向の伊東義祐に仕え、天文20年(1551年)の目井城攻防戦で上別府宮内少輔等と共に活躍した。
晩年は肥後に戻り、球磨で余生を過ごしたとされる。