源兼宣
表示
時代 | 平安時代中期 |
---|---|
生誕 | 不詳 |
死没 | 不詳 |
官位 | 正六位上、式部丞 |
主君 | 一条天皇 |
氏族 | 文徳源氏 |
父母 | 父:源惟正、母:藤原守文の娘 |
兄弟 | 遠古、遠節、遠理、兼宣、惟明、兼業、兼資、兼相、藤原実資室 |
妻 | 藤原伊伝の娘 |
子 | 章経 |
源 兼宣(みなもと の かねのぶ)は、平安時代中期の官人。文徳源氏、参議・源惟正の子。官位は正六位上・式部丞。
経歴[編集]
一条朝中期に六位蔵人を務め、掃部助・右衛門尉・式部丞を兼ねた。
長保元年(999年)9月に伊勢例幣が延引された際、宣旨を一枚伝達する[1]。また、同年11月には安倍晴明が勘申した防解火災御祭の日時を上奏するなど[2]、蔵人として一条天皇の傍に仕えていた様子が窺える。長保3年(1001年)4月27日に出家。最終官位は正六位上蔵人式部丞と、若くして出家したため卑官に終わった。
官歴[編集]
- 長保元年(999年) 9月6日:見六位蔵人[3]。9月8日:見掃部助[4]
- 長保2年(1000年) 3月29日:見右衛門尉[5]
- 長保3年(1001年) 正月29日:見式部丞。4月26日:出家(蔵人式部丞)[6]