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田辺栄吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
田辺栄吉
たなべ えいきち
生年月日 1924年7月20日
出生地 日本の旗 日本 東京府西多摩郡青梅町
(現・東京都青梅市
没年月日 (2017-04-06) 2017年4月6日(92歳没)
出身校 慶應義塾大学経済学部卒業
前職 実業家
所属政党 無所属

当選回数 3回
在任期間 1987年11月30日 - 1999年

第16代 青梅市議会議長
在任期間 1977年6月6日 - 1979年4月30日

第15代 青梅市議会副議長
在任期間 1973年6月13日 - 1975年4月30日

青梅市議会議員
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田辺 栄吉(たなべ えいきち、1924年大正13年)7月20日[1] - 2017年平成29年)4月6日[2])は、日本の政治家。青梅市長。

略歴[編集]

東京府西多摩郡青梅町(現在の東京都青梅市)生まれ。慶應義塾大学経済学部[3]。卒業後は釜屋取締役となり、のち代表取締役となる[4]。その後、青梅市議会議員となる[注釈 1]1973年6月13日から1975年4月30日まで、第15代青梅市議会副議長を務め、1977年6月6日から1979年4月30日まで第16代青梅市議会議長を務めた[6]1987年、田辺は自民党公明党民社党から推薦を受け、青梅市長選挙に立候補した[4]共産党推薦の元市議吉永洋司という新人同士の一騎打ちとなったが、前市長山崎正雄の政策引き継ぎを訴えた田辺が7割以上を得票する大差で初当選した[7]。同年11月30日に市長に就任した[8]

その後、圏央道のインターチェンジ予定地周辺の整備などを訴え2選を果たした[9]

1995年青梅市長選挙[編集]

これまでの実績をアピールして、共産党推薦の新人ら2人を破って3選を果たした[10][11][12][13]

※当日有権者数:-人 最終投票率:40.97%(前回比:-pts)

候補者名年齢所属党派新旧別得票数得票率推薦・支持
田辺栄吉71無所属30,250票73.7%自由民主党・公明推薦
中村泰三66無所属8,351票20.4%日本共産党推薦
柳沼信幸47無所属2,421票5.9%-

また、シーボルトの子孫が青梅市に定住していることを契機とした[14]蘭学研究の功績により、第3回杉田玄白賞(小浜市)を受賞した[15]。著書に、『多摩と蘭学』『杉田玄白著「蘭学事始」物語』など。

2017年4月6日、肺炎のため死去[16]。葬儀は青梅市民斎場で執り行われた[16]


出典[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 昭和46年以降の在職が確認出来る[5]

脚注[編集]

  1. ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、142頁。
  2. ^ 田辺栄吉さん 92歳=元青梅市長 /東京 毎日新聞 2017年4月7日
  3. ^ “現職・新顔の一騎打ち 丘陵開発など争点 青梅市長選”. 朝日新聞 朝刊 (朝日新聞社). (1991年11月12日) 
  4. ^ a b 『新訂 現代政治家人名事典 : 中央・地方の政治家4000人』328頁。
  5. ^ 青梅市議会史 2』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  6. ^ 青梅市議会史 2』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  7. ^ “青梅市長に田辺栄吉氏”. 朝日新聞 夕刊 (朝日新聞社). (1987年11月9日) 
  8. ^ 青梅市議会史 3』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  9. ^ “青梅市長に田辺栄吉氏再選”. 朝日新聞 夕刊 (朝日新聞社). (1991年11月18日) 
  10. ^ “青梅市長に田辺栄吉氏 新顔2氏振り切り3選 /東京”. 朝日新聞 朝刊 (朝日新聞社). (1995年11月20日) 
  11. ^ 紀要 : studies in law and politics (12)』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  12. ^ 都政研究 28(12)(327)』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  13. ^ 社会民主 (490)』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  14. ^ “杉田玄白賞に田辺栄吉元青梅市長 蘭学史研究を評価 /福井”. 朝日新聞 朝刊 (朝日新聞社). (2004年11月20日) 
  15. ^ 過去の「杉田玄白賞」(小浜市)
  16. ^ a b “田辺栄吉さん死去”. 朝日新聞 朝刊 多摩面 (朝日新聞社). (2017年4月7日) 

参考文献[編集]

  • 『新訂 現代政治家人名事典 : 中央・地方の政治家4000人』日外アソシエーツ株式会社、2005年。
先代
山崎正雄
青梅市長
1987年 - 1999年
次代
竹内俊夫