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谷口呉朗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
谷口 呉朗
生誕 1888年9月18日
日本の旗 日本 滋賀県
死没 (1945-12-21) 1945年12月21日(57歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1911年 - 1943年
1943年 - 1945年
最終階級 陸軍少将
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谷口 呉朗(たにぐち ごろう、1888年明治21年)9月18日[1] - 1945年昭和20年)12月21日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級[2]

経歴

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1888年(明治21年)に滋賀県で生まれた[1]陸軍士官学校第23期、陸軍大学校第34期卒業[1]1927年(昭和2年)5月に陸軍歩兵少佐に進級し[3]1931年(昭和6年)8月、陸軍歩兵中佐に進級と同時に歩兵第9連隊附となり[3]第三高等学校に配属された[3]1935年(昭和10年)8月に歩兵第5連隊附に転じ[4]1936年(昭和11年)8月1日陸軍歩兵大佐進級と同時に第4師団司令部附となり[2]高野山大学に配属された[2]

1939年(昭和14年)5月19日に陸軍少将進級と同時に北支那方面軍司令部附となり[2]7月12日に復員した第109師団の残置人員を基に河北省邯鄲で編制された独立混成第1旅団(北支那方面軍)[1][5]の旅団長に9月1日に就任し[1]、京漢線沿線の警備に任じた[1]1941年(昭和16年)3月1日留守第6師団司令部附となり[1]12月1日大本営直轄である第4歩兵団長(第4師団)に就任した[1]1943年(昭和18年)3月1日に待命[2]3月31日予備役に編入された[1]。同年8月2日に召集され第12野戦輸送司令官(関東軍第4軍)に就任し[1]黒河省孫呉に駐屯[6]。山神府[6]北安省北安の順に移駐し[6]6月21日第17方面軍隷下に編入された[6]7月4日に北安を出発し[6]7月7日全州に到着し終戦を迎えた[6]10月3日釜山港を出発し[6]、翌10月4日舞鶴港に到着し復員を完結した[6]

脚注

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参考文献

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  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026 
  • 藤井非三四 著『知られざる兵団 帝国陸軍独立混成旅団史』国書刊行会、2020年。ISBN 4336065977