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長尾景人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
長尾 景人
時代 室町時代後期
生誕 文安2年(1445年[1]?
死没 文明4年5月1日1472年6月7日
別名 新五郎
戒名 積翁常善居士
墓所 栃木県足利市長林寺
官位 但馬守
主君 上杉房顕
氏族 長尾氏
父母 父:長尾実景
兄弟 景住(憲景?)、景人房清
定景景長
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長尾 景人(ながお かげひと)は、室町時代後期の武将山内上杉家の家臣である足利長尾氏の祖。下野国勧農城城主

通称は新五郎[2]官職但馬守[2]

略歴

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長尾実景の次男として誕生。享徳3年(1454年)12月に父と兄・景住関東管領上杉憲忠と共に足利成氏に殺害された為、家督を継いで上杉憲忠の弟・房顕に仕えて成氏と戦った(享徳の乱)。長禄3年(1459年)の太田庄の戦いにも参戦している。

寛正6年(1465年)、房顕の推挙で室町幕府から下野足利荘の代官に任命された。翌文正元年(1466年)年11月、足利荘に入部し、勧農城を拠点とした[3][4][5]。以後、景人の一族は足利長尾氏と呼ばれるようになる。

上杉氏はここを拠点にして応仁2年(1468年)の上野国での綱取原合戦文明3年(1471年)には下野に出陣、古河城を落としている。景人はこれらの合戦に加わったが、翌年になると成氏の反撃によって足利荘に攻め込まれた。

文明4年(1472年)、死去[6]。享年は28と推定される[1]。法名は積翁常善[2]墓所長林寺足利市西宮町[6]

嫡男・定景が跡を継いだ。

脚注

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  1. ^ a b 黒田基樹 編著『シリーズ・中世関東武士の研究 第一巻 長尾景春』(戒光祥出版、2010年)ISBN 978-4-86403-005-2 P17
  2. ^ a b c 近代足利市史 第一巻 1977, p. 282.
  3. ^ 近代足利市史 第一巻 1977, p. 278.
  4. ^ 近代足利市史 第一巻 1977, p. 283.
  5. ^ 岩井山城跡(勧農城跡)”. 足利市 (2023年2月1日). 2023年2月17日閲覧。
  6. ^ a b 近代足利市史 第一巻 1977, p. 284.

参考文献

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  • 足利市史編さん委員会 編『近代足利市史』 第一巻 通史編《原始〜近代㈡》、足利市、1977年3月1日。NDLJP:9641197 (要登録)

外部リンク

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