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須田秀広

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
須田秀広
時代 安土桃山時代
生誕 元亀3年(1572年)?
死没 天正17年10月29日1589年12月6日
改名 天仙丸(幼名)→秀広
別名 源一郎、美濃二郎
戒名 天仙清公大禅定門
墓所 秋田県横手市天仙寺
主君 二階堂氏
氏族 須田氏
父母 父:須田盛秀
兄弟

秀広秀世盛方須田盛久室、

養兄弟 盛久(玉生氏)
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須田 秀広(すだ ひでひろ)は、安土桃山時代武士二階堂氏の家臣。

略歴

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和田城主・須田盛秀の嫡男として誕生。

天正17年(1589年)10月26日、須賀川城落城時に伊達軍に生け捕られた。その三日後伊達政宗自らの手によって鉄砲で撃ち殺された。『奥羽永慶軍記』では、その名前を美濃二郎とし生年18歳としている。16歳で没とする史料もある。

秋田県横手市の天仙寺の寺号は秀広の法名から名付けられたと言う。