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Page:Arai hakuseki zenshu 4.djvu/834

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愛すべき事に而候又子をやしなひ子ををしゆるは父母の心にて候其父母の心を其子の心とする時は兄弟の間は相やしなひ相をしゆべき事すなはち天主の心天主の法にて候との義と相聞え候これ又佛氏の摩騰迦竺法闌等をはじめて代々の三藏漢土に來り佛敎をひろめ達磨南海を渡りて梁魏の間に禪法をひろめ候心と同じく皆々番夷の風俗と相見え候事

彼國の人我國に來り法ひろめ候事は我國をうばひとり候謀の由相聞え候事は阿蘭陀人幷に彼國の人フランシスクスリアン幷に又我國より彼國へ渡り法を傳候コンパニヤドウウと申すもの申し出したる事に御座候歟其敎の本意幷其地勢等をかんがへ候に謀略の一事はゆめあるまじき事と存ぜられ候事

大猷院樣御代渡り候コンパニヤジヨセフと申すもの後には岡本三右衞門と申す名を被下御扶持方幷妻女從者等被下さしおかれ候もの三卷の書を作り置候事反逆の謀にて無之趣を一々に辨じおき候を此度を此度見候處にいかにも其道理分明に相見候歟

彼國の人其法を諸國にひろめ候事國をうばひ候謀略にては無之段々分明に候といへども其法盛になり候へばおのづから其國に反逆の臣子出來候事はまた必然之理勢にて候歟ちかくは大明三百餘年の天下ほろび候事の端は三ケ條有之候うち其一條は此法の行れ候故の由たしかに其時の書に相見え候大明ほろび候事は

大猷院樣御他界の比の事に候大明に而は此事の覺悟無之候と相見え候處に我國にてはさきだち候て彼法をきびしく御制禁被遊於今此害一かた斷絕仕候事

御名譽の御事と乍恐奉存候事

右白石先生の羅馬人處置獻議と天主敎大意との二篇は向山篤氏〈誠齋又偶堂と號す通稱を源太夫といふ今の黃村翁の父なり〉の輯錄せる偶堂雜記中に見えたるを取り出せるものなり向山氏は舊幕府の吏職にありて專ら經世實用の學を講じその藏する所往々希覯の書多くこの二篇のごときも先生の手書案本の幕府內史局に存在せしを見出して窃に謄寫しおきたりしものと