はてなキーワード: 年代とは
この内容がひとつの当事者の声として、実際に関係者に届いてほしいのか、
それとも自分の心情を吐き出す場所がほしいだけなのかはわからないが、
書かないと、どうにかなってしまいそうなので書く。
彼女の訃報を知ってから半日経つが、率直に言ってかなり精神的にまいってしまっている。
普段は物事に対して必要以上に感傷的になったり、映画などを見ても大泣きしたりはしないタイプの人間なのだけれど、
このあまりにも唐突で受け入れがたいニュースに触れてからというものの、
仕事や大学の授業が終わり一人になると、納得できない気持ちや言葉がどんどん頭の中をめぐって、
私生活に特別な不満もなく、心身ともに健康に日々を過ごしていた自分でさえこうなるのだから、
希死念慮を抱えて生きるような人々にとって、著名人の自殺報道がどれだけ影響を持ちうるだろうか、ということも考えてしまう。
自分が彼女に心酔する大ファンだったかと言うと、多分そうではない。
ただ、家で一人作業している時に流すiTunesのプレイリストの数%は彼女の曲であり、
人生で彼女の曲を聞いた時間を一つにつなげると、大抵の友人や家族と過ごした時間よりよっぽど長いのではないと思う。
彼女の楽曲は、巷で「生きづらさ」として語られるような感情をベースにしたものが多くて、
それが彼女の内なる思いの発露なのか、商業作家としての生存戦略であったのかはわからない。
彼女に対しての感情は同年代ならきっと抱くのだろう「共感」とはすこし違っていて、
突出した作家性で、歌声で、演奏で、唯一無二の音楽を聞かせてくれる存在だった。
記憶にすがるように罰が下るのを待っていたように
僕が僕自身をこの部屋に閉じ込めていた
という歌詞だ。鬱屈して閉じこもる心を「罰が下るのを待つ」と表現する感性。
彼女にとって自分の内面とは、けして外界とのつながりを断つための境界や手段ではなく、
それはまるで彼女の内側に広がる「世界」であり、それを統べる神様とさえ繋がる場所だとでもいうような、
強烈な自意識のあり様、彼女の作家性の一端に触れた時は、まさに殴られたような気分だった。
自分のプレイリストの中には、自分が今まで出会ってきたアーティスト達と並んで、高確率で彼女が入るようになった。
(この曲を含め、彼女の歌詞には「君」や「あなた」という表現がよく出てくるが、
彼女にとってはそれもまた客体化された、向き合うべき自分自身であり「神様」であるように思えてならない)
一度だけライブにも行った。
コロナ禍の中、東京で名古屋まで遠征して、人もまばらな新栄町のライブホールで彼女を見た。
落ち着いた会場の中で見た彼女の印象は、楽曲の持つ強烈な存在感とは裏腹に、
どこか年相応で、満員の観客と向き合うには何とも頼りなく見えた。
路上ライブ時代の楽曲なども含めた弾き語り中心の穏やかなセットリストと、
苛烈さを秘めた内容に対して、いつでも「聞いて下さい」から始まるあまりにも低姿勢で飾らないMC。
大満足と言うよりは、次もまた見に行こう、というような気持ちになったのを覚えている。
あまりリアルタイムでアーティストの動向を追うこともないタイプなので、
彼女の結婚や病気、活動休止といった直近のニュースはまったく知らなかった。
ただ、毎日の在宅デスクワーク、その時の気分で音楽を延々と流す日々のワンシーンに彼女がいる、
好きなアーティストの死に触れることは初めてではない。
1970年代の洋楽もよく聞くので、ルー・リードやデビット・ボウイが死んだ時もショックだった。
ただ、、寂しくはあってもどこかで覚悟していた大御所の死とは違い、
彼女の死に直面して、色々な感情が駆け巡って、最終的にたどり着いたのは「納得がいかない」という思いだった。
音楽の歴史の中で、若くして死ぬ事によって、伝説的に昇華されてしまったようなアーティストはたくさんいるが、
もはやそんな時代ではないと思う。
生み出された作品とその作者の人生や生活は切り離して考えられるべきであって、
劇的な死に方をすることで、楽曲の意味が何らかの方向性を持って印象的に底上げされる、
なんて事は受け入れてはいけないと理性では思っている。
「自死」という究極の自己決定と紐づけた時に、そのありかたが容易く変質してしまう類のものだと個人的には思う。
彼女自身の感性で研ぎ澄まされた強さと繊細さ、息苦しさがたどり着いた結果が「それ」だとしたら。
到底受け入れられない。結びつけてはいけない。
彼女がどんな人生を辿ったとしても、彼女が楽曲に込めた表現の意味は変わらないはずで、
自分にとって、これから先も、生活の一部として聞き続けるであろうたくさんの音楽の一つとして、
年月が移り変わっても、変わらないものとしてありつづけてほしい。
彼女が言葉と歌声と音楽で生み出した、暗くもあたたかい世界は、私自身の居場所でもありました。
自分だけの、二人だけの、生まれながらに全てが正しくて、善であるのだと強く歌ったはずの世界を、
彼女自身が、自ら”指パッチン”で終わらせる対象として塗りつぶしてしまったのではないか。
彼女が歌の中で生み出して、繰り返したモチーフのひとつひとつが、
彼女が選んでしまったかもしれない現実の結末と、それを知った自分自身の類推に過ぎないイメージで上書きされてしまう事があまりも怖くて、
自分はいま、彼女の死を知ってからまだ一度も彼女の楽曲を聞くことが出来ずにいます。
ここまで来てやっと本題です。
今回の「死因非公表」というご遺族の意向による報道内容によって、自分は落とし所を見つけられずにいる。
まず大前提として、著名人の死に当たっては、今回コメントを出した彼女のパートナーを初め、最も近しい人達が、
彼女の死という重大な出来事に対して向き合い、たとえ時間がかかっても心の折り合いをつけていく、
そのための時間は絶対に必要で、「ファンのお気持ち」なんて物とは比べるまでもなく優先すべきで、
ニュースやその視聴者が、それが興味本位であっても切実な悲しみであっても、
彼女の死の原因のあれこれを詮索して、彼らに必要な時間を踏みにじるような事はあってはならないと思う。
その意味において、詳細な死因を公表しない、と決めたご遺族の判断は第一に尊重したい。
ただ、それと同時に、自分を初めとして、彼女の楽曲に日常的に触れてきたファンも、
突然の訃報のショックと抑うつ、行き場のない感情、彼女の楽曲を以前と同じように聞けなくなった辛さを抱えています。
その中で、彼女の死がはたして「自殺」なのか「病死・事故死」だったのかを知ることは、
いや、大きな意味など本当はないのかもしれない。
あるのは、彼女の死が、病死や事故死といった本人の意志によらないものであってほしいという祈り。
でもおそらく報道コメントが暗に示すように、もし彼女が死を選んだという事が真に明らかになったとしたら、
自分の中で、彼女の楽曲に対する「受け入れがたい変化」がより決定的な物になってしまうだけなのかもしれない。
ただ、海や山で誰かが遭難して数ヶ月が経ち、たとえ見つかるのが遺体だとわかっていても、
長い人生の中で避けられない大切な人の喪失を受け入れるにあたって、
その理由や結果を知ることは、たとえ残酷な結論だとわかっていても、必要な過程なのではないでしょうか。
今まさに現在進行系で心の行き場と日々の平穏を失ってしまった自分にとっては、
彼女の死因を知ることが、とても切実な問題であるように思えてならないのです。
自殺報道が最大限の配慮を持ってなされるべきだ、ということももちろん承知しています。
その一方で、ペットロスといった身近な死を乗り越えるためのサポートなども社会課題として捉えられる時代においては、
一定の社会的支持を持つアーティストの死に対して、ファンが重要な事実を知ることも、
私達が「大切な存在の死」という逃れられぬ現実を乗り越えるためには必要な手続きなのではないかという事を、
いままさに行き場のない思いを抱える当事者として切実に感じています。
自分は、彼女の死を知って以来、まだ彼女の曲を一度も聞くことが出来ていません。
いつかまた彼女の曲たちを、これまで同様に、そして私の生活を彩る他の数多のアーティストとも同様に、
自分の人生にとってかけがえのない存在として共に過ごしていく日々がまたいつか来ることを切に願っています。
長くなってしまいましたが、
子供の頃から違和感はあった。小学 4 年生くらいから顕著にかわいさを求められていることが分かって、辛さだけがあった。姉妹は美しかった。私はかわいく無かった。早くに母を失って、「かわいい」と言ってくれる唯一の人が居なくなって、自分がかわいくないことがよく分かった。
幸いに頭は良くて、人生に悩むことは無かった。とはいえ中の上くらいだが、好きなことを見つけられてそれで生きていけた。
色々あって離婚して、やっと「もう男女交際に悩まなくていいんだ」と思った。結構長い間夫婦をやったので、この人生でこれ以上はいいや、この分野はこれでいいや、と思った。
しばらくは自堕落に自由を楽しんでいたが、あるときピーリングに目覚めた。皮膚が固くなるのは、刺激によって固くなった皮膚が真皮に負担になり、それによって固い皮膚が増えるらしい。なにそれバグでは、という気持ちが湧いた。
もともと色々あった中で美容についての知識と技術はあった。たくさん勉強はした。保湿と日焼け止めこそが正義という世界だったが、これから衰えていく中で衰えた皮膚がより衰えさせるという事実に不満があって、ピーリングを始めた。
ケミカルピーリングから物理的なピーリングまで色々試した。その中では真皮まで削る失敗もあった。そもそもピーリングは医学用語であって、化粧品で「ピーリング」を冠しているものはすべて違法であるという、検索性の低さもあって迷走したりもした。
毎日やってもターンオーバーサイクル的に意味が無いので、その歩みは遅々たるものだった。合ったと思ったものが合っていない時期もあった。
やっと合うケミカルピーリングと物理ピーリングの度合いが見つかった。そうしたら、毎回毎回肌がとてもきれいになっていくのだ。
肌がつやつやしている。毛穴が小さくなってくる。化粧ノリが良い。何もかも良いことばかりだ。だから鏡を見る機会がふえた。見ると、改善したいことが出てくる。そしてどんどん良くなっていく。
鏡をポジティブな気持ちで見ることがあるなんて。そこには醜いものしか映らないから見たくなくなって、それ故にケアもおざなりになっていた。でも今は見るたびに良くなっていくので、しょっちゅう鏡を見ている。
しょっちゅう鏡を見ると、きれいになりたくなる。化粧品を全部変えた。今までは、悪いところを隠すものだったから、モチベーションが低かった。
今までで一番「化粧が楽しい」と思ったのは、親の死に化粧くらいだった。私よりずっと見目麗しい(それ故にパートナーを苦しめ続けた)父に施す化粧は楽しかった。学んだ技術が生かされた唯一の瞬間だった。
今ではそれが自分の肌に生かせる。ベースの肌もきれいだし、化粧すればよりきれいになる。楽しい。
おそらく多くの女児が思う「かわいくなりたい」を、今になってやっと素直に言えるようになった。そしてそれは叶う。今は技術と知識とお金がある。
こんな日が来るとは思っていなかった。別に 40 歳がかわいかろうときれいだろうとほとんどの他者にとってはどうでもいい。でも、 40 歳であるところの私にとっては、 40 歳とは思えないきれいな肌が私を励ましてくれる。鏡を見る度に、良くなった、もっと良くなると思える。他人にとってどうかはどうでもいい。今、私は私をかわいいと思う。毎日きれいになっていく自分を良いと思う自分をかわいく思う。
ああ、かつて小学校高学年から中学校まで不美人であることですべてのコミュニケーションを絶たれていた頃は、こんな日が来るなんてまるで思えなかった。
もう男女交際のためでない、ただ私が私を美しいと思うために行う儀式は意外と楽しい。やっと、やっと女の子になれた気がする。
自分が 40 歳になるなんて、想像もつかなかった。でもなってみると、意外と楽しい。仕事ではやりたいと思ったことは大体できる。スキル的にも他者への影響力的にも、すごく強い。
その上、同年代とは比べ物にならないきれいな肌がついている。誰に言うでもない、誰かに誇るでもない、ただ自分で自分をきれいだと思うこと。それが最後のピースだったようだ。
まとまらないが、歳を取ること、悪くないよ。エンジニア 35 歳定年説なんかに惑わされず、好きなことをやろう。いつの間にか自分を好きになっているかもしれないよ。
私は今41歳で、アルバイトとして働いている。正社員の経験はない。
氷河期直撃世代であるのだが私の場合はそれだけではなく、大学在学中に統合失調症に罹り、それで新卒就職ができなかったのだ。
大学を卒業して数年間はとても働ける状態ではなく、親元で療養をしながら必要なお金は1日2日で終わる短期派遣でなんとか稼いでいた。
そして病気の様子を見ながらパートを始めて社会復帰を徐々にしてきたが、働いては調子を悪くして退職するのを繰り返し、履歴書はかなりボロボロになってしまった。
同年代で、ちゃんと社会人としてのキャリアを積んできた友人たちは、徐々に会社の要職に就きつつある。
それを見ると、今だに病気の影響下にあり満足に働けない自分が、いかに遅れた身でいるのかと思って情けなくなる。
しかし仕方がない。これでも自分なりになんとかやってきた人生なのだ。
だから、この人生ではキャリアに縁がなかったと思うことにしている。
たまたまこの人生では縁がなかっただけ。きっと健康に生きられた前の人生か次の人生の私は、満足できるほどではないかも知れないが、もう少し仕事を頑張る人生を送っているだろう。
そう思うと、少しだけ慰めになるのだ。
推しは、お育ちがいい。
自分の推しは今をときめくアイドルグループのメンバーである。メンバーの1人だけが好きなのではなく、全員のことが大好きのいわゆる箱推しだ。アイドルとしての魅力はもちろん多分にあり、簡単には語り尽くせないほど彼らのことが大好きなのだが、その辺のオタク語りは割愛する。
このグループの大きな売りの一つに「メンバー全員家族仲が良く、お育ちがいい」という要素がある。
それ自体はとてもよいことだ。当たり前に。自分自身、彼らの両親に健全に愛されて培ってきた人間としてのあたたかなふるまいを好ましく思うし、両親とのほっこりエピソードを微笑ましく思っている。愛されて育った人間というのは、とかく愛される要素が多く愛おしい。
ただ、「お育ちがいい」という言葉が持つ攻撃性に気付かないでいられる彼らにとって、自分のような人間はファンとして適さないか、そもそも見えてもないのだろうな…と感じる瞬間が多いのだ。繊細や〇ざかよって?分かる。だからそんな繊細お気持ち仕草を公にしてしまわないよう、今回は殴り書きをして供養しようと思う。
まず、このグループはメンバーの半数がいわゆるお金持ちの生まれだ。小金持ちや成金等ではない。本当に純粋培養のお金持ちの家で育った、心清らかで豊かなおぼっちゃまである。それもネットによく落ちてる適当な身辺調査記事が出典ではなく、しっかりと本人出典のお墨付きだ。具体的には書けないが、あっけらかんと出てくるエピソードも一般人にはなんだそのエピソードは!?(笑)本物の金持ちってすげえや……となるようなものが多く、それは非常に面白いので書けないのがもったいないくらいである。
特に親との仲が非常に良く、成人後も実家暮らしで家事の一切ができないままなメンバーもいる。それ自体は、まあ結婚相手や交際相手なら是非を問えるかもしれないが、別に両親との仲が良好で双方同意の上なら完全に本人の自由だし、むしろアイドルとしてはおいしいキャラ付けと安心要素があって個人的には良いと思う。
なんなら自分もそこを可愛いとさえ感じているし、自分の好きな人が恵まれた環境にいて幸せに生きられるのは素晴らしいことだと思う。それはちょっと気持ち悪いか。まあオタクの推しへの感情なんてそんなもんだろう。
しかし、だ。良くも悪くも純粋培養のおぼっちゃまな彼らは、悪意無く次の言葉を発する。
「おまえその行動はお育ちが悪いぞw」
「(グループ名)は本当にみんないい子で、人柄からお育ちのよさがわかる!」
「みんな親と仲が良くてお育ちがいい子たちだから、このグループは素敵!」
…悪意の無い言葉の攻撃性、すごい。悪意が無い・誰かを傷つけてやろうという意思が無い分、それがアイドルや大多数のファン側…つまりマジョリティ側の本音なんだなと、ドストレートに心臓に突き刺さる。人柄からお育ちが分かる、お育ちがいいから素敵、か。
いや、何も間違ってない。環境は悪いよりいいに越したことはない。実際「お育ちのいい」人はいい人が多い。余裕があるから、人にやさしい。豊かだから、人へ分け与える慈しみを持っている。けど、お育ちの良さを褒めるとき、反対に「お育ちが悪い」という言葉で人を貶すとき、そしてそれを笑うとき。自分が何を踏んで何と比較して下げることになっているかには、メンバーも大多数のファンも無自覚でいられるんだな…という虚しさが、ただあるだけで。
自分語りを挟んでしまうが、ここまでのお育ち関連の発言に対する拒絶反応からお察しの通り、自分は「お育ちが悪い」に分類される人間だ。
詳しく語ると身バレしそうなのでだいぶざっくりとワードを連ねるが「面前DV」「経済虐待」「ヤングケアラー」「アル中」「離婚」…あんまり書いても不幸の詰め合わせマウントにとられそうでやめるが、まあだいぶ不健全な環境で育ったとだけ伝わってほしい。だから彼らに対して妬み嫉み、羨ましさが一切無いとは言えない。でもそれが至極勝手な感情であることもちゃんと分かってる。
だからそんなことは、表立って口にしない。別に彼らの家庭環境の良さは彼ら自身の努力の成果じゃないじゃん、なのになんで「お育ちが悪い」ことを「お育ちのいい」側がそうやってバカにして嗤うんだ。…とかいう繊細仕草なお気持ちは、胸に閉まっている。だのに、「お育ちのいい」彼らは自覚も悪意も無く、そんな胸の内のやわらかいところをこじ開けてくるのだ。それが、つらい。
メンバーの1人は、インタビューなどで自分の発言が取り沙汰されるとき、決まってこのようなことを言う。
「環境のせいでやりたいことに挑戦できないなんてことはない、環境は関係ない。自分は恵まれた環境じゃなかったが、努力して夢に近付いた」
あまりにも綺麗でまばゆい言葉だと思う。そのメンバーの努力はもちろん凄まじく、口先だけの人間じゃないことは1オタクとしてよく分かっているから。
ただ、環境は関係ない、なんてひどく残酷なことを言い切って発信してしまえるんだな…、と自分のような繊細ヤローは悲しくなるのだ。
ここで彼の言う「恵まれた環境じゃなかった」はなにも家庭環境の話ではない。とある事情のある地方に生まれた、という話なのだ(そうは言っても都会へのアクセスはぶっちゃけ悪くない)
また、彼は留学へ行ったことがあり、大学にも通い、しかしアルバイト経験は無いと本人の口から語られている。…それは恵まれた環境ではないのか!?と、自分は正直思ってしまう。
人には人の~…などと言うが、さすがにそれを自分は恵まれなかったが努力した!だから環境は関係ない!と言い切る材料に使うのは、あまりにも軽率なんじゃないか…?いや、大いに関係あるよ、環境。なんなら上京して上手くいった、あのまま地元にいたら無理だったかもと同じ口で言っていて、いやじゃあやっぱ環境関係あるじゃんかよ(笑)と少し意地悪なことも思った。
別に今や家を出られない事情があるとか、虐待やヤングケアラーだとか、そういうのはレア中のレアケースでもなんでもないよくニュースでも聞く話じゃないか。もちろん彼だってファンに発信していない部分で苦労したことはあるだろう。だとしても、環境は関係ないというのは、やはり成功者バイアスのかかった暴論だろう。少なくとも、アイドルが不特定多数を励ますときに使う言葉じゃないんじゃないか。
そんな家庭環境のことなんて想定していないのだからしょうがないだろう、揚げ足を取るな。ってかいつまでも環境を言い訳するな。もしかしたらそう思うかもしれないが、環境なんて関係ないと言い切るならそこは想定してくれよと思う。
第一、言い訳ってなんだ。何を言い訳したって周囲は自分の状況を変えてくれないっていうのは「お育ちが悪い」人はよく分かってる。自分もごくごく普通の社会人として社会に溶け込めるよう、努力した。「お育ちのいい」人が夢を叶える努力と、そう変わらないであろう努力を社会で普通に生きるためにするのが「お育ちが悪い」人でも大半だろう。
スタートラインがあまりにも後ろに後ろに設置されていて、夢なんて見ていられなかった。でもそれは環境が悪かったから仕方ないよね、となんとか飲み込もうとしているところを、何周もリードしている側が環境なんて関係ないという言葉で背中を殴るようなマネするなよ。そう思ってしまう。それも、推しからすれば言い訳の内なのだろうか。
私は彼らと同年代で、もう親元からは逃れているからまだグッと堪えられる。しかし、まだ幼く、親元から逃げられずに毎日虐待を受けていた環境でこの言葉を推しから投げられたら…と想像すると、背筋に冷たいものが走るのだ。実際、現在進行形でそういう状態にいるファンが0なわけはない。表立っては言わないが、鍵垢で実は…と語る人を何人も目にした。
実は家庭環境がすごく悪かったから、彼らが悪意無く「お育ちがいい・悪い」をギャグにするのがキツいとか、「環境は関係ない」と言ってるとき自分のようなファンは輪の内に入れていないんだと感じる、とか。推しから努力不足の烙印を押されているようだ、と。
でも、自分を含めその誰もが表ではそんなことを言わない。言っても遠回しに、かつ推しの名前は出さない。なぜなら彼らはエゴサをよくするし、おすすめにファンの投稿がよく流れてくると言うから、配慮している。わきまえているのだ。あとこういう意見は言論統制したがるファン、特にお母さん世代から空リプで遠回しにdisられるしね。いや陰湿~。まあ人間がたくさんいれば陰湿な人もその分いる。ここに殴り書きしてる自分もたいがい陰湿なヤツだと思うし。
話は逸れたが、表立って言わないのは別に彼らにお育ちがいいことを隠してほしいわけでも、罪のように思ってほしいわけでもないからだ。ただ、私たちはそのとき、推しにいないものとして扱われることを受け入れるしかない。
しかし、私は一度だけ、彼らの発言に対してお問い合わせをしたことがある。発言に対してお問い合わせなんて厄介オタクのすること…と思って耐えてきた私も、さすがに我慢ならなかった。それは、彼らが肌の色に対してネガティブな発言をして笑いにしたときだった。
肌が黒いメンバー(と言っても、スポーツをしている人の日焼け程度の褐色肌)が自虐を頻繁にしたり、自分や他メンバーの肌の黒さをいじる流れを作ろうとするのだ。
「おまえ肌黒すぎw」とか「(黒い服で暗いとこだと)髪の毛だけ浮いてたよw」とか「(黒い服が似合うという発言に)あー色黒をごまかせるから?w」とか。
一部のファンも一緒になって肌黒いwwwといじり倒して、メンバーが「肌黒いって言うな!w」という流れができている。
いやこのご時世に?ハイハイ嘘乙。と思ってくれる人もいるだろうが、本当である。私も嘘や誇張だと思いたい。このご時世にこんな大胆かつ雑な肌の色いじり、いくらなんでも嘘すぎる。
あんまそういうこと言うなってw触れづらいわwというメンバーの半笑いツッコミも、なにわろてんねんと率直に思う。このノリを1回や2回じゃなくしつこいくらいにやっているんだから、さすがにヒヤヒヤしてお問い合わせの1つや2つもするだろう。
当然、なにも彼らが差別心から言ってるわけではないのは分かってる。むしろ、親や周囲から肌の色をいじられたコンプレックスで言っているのだろうな…というのは彼らのコンテンツをよく見ていれば察せられることだ。
しかしこんな発言が令和に、仮にも名の知れた事務所所属のアイドルから出てきて、その上周りの大人が誰も諫めることなく世の中へと放出されるのか…と驚いた。
ライブや配信なら止められなくて笑いに昇華するのは百歩譲って仕方ないにしても、FCで載せる動画は編集でいくらでもカットできただろ。本人もスタッフもコンプラ研修とかしてないのかよ、しろよ。しててこのザマならそれは事務所、濡れ衣着せてごめん。
でもたぶん、してないね。してたらこんな、拡散されようによってはあっという間に【差別主義者】とバッシングを受け炎上する可能性のある発言を見逃すはずがない。そう思うのは希望的観測なのだろうか。
実際、私も彼らがそのような捉えられ方をして道が閉ざされてしまうのは怖かったから、お問い合わせという形を取った。ヒヨったのだ。炎上しても自分は責任が取れない、と。
ウケるwwwとか今日いちだんと肌黒すぎwwwなんて笑ってる一部のファンを尻目に、さすがにこれはよくないからお問い合わせした…という表明もちらほらと見かけたが、結果は特に何も変わらなかった。なんでや。
口うるせーなと思ったのか、それともお問い合わせにはまったく目を通してなくてたまたまなのか。どちらにせよ、彼らにそういう声は届かないんだなと感じた。
しかし、だ。「お育ちがいい」と周囲も本人もおっしゃるなら、肌の色を揶揄する文脈を使うのはいかがなものかと気付いてくれよ。それとも、そんなマイノリティの問題には無自覚でいることこそが世間の言う「お育ちがいい」なのだろうか。
冗談も通じない口やかましいマイノリティなんか相手にする必要ない、もしくはそもそもそんなことに問題意識など持ったことがない、というのが大多数の人間なんだろうか。
そして私も正直、お育ちが悪かった分人の痛みの分かる優しい人間…なんてなんの益にもならない称号を貰うよりも、無自覚でいられる大多数の側へ行きたかったのだろうと思う。
率直に、うらやましいのだ。「お育ちがいい」のも「お育ちが悪い」ことやマイノリティを踏みつけることを笑える側でいられるのも。でも現実的にそうはなれないから、つらいのだ。
別に肌の色を揶揄うくらいいいじゃないか、現実の差別とは関係ないじゃないか、いちいち過敏なんだよ。そう思われるのだろうが、そんなことはない。現に、ファンはコメントやXで書き込んでいるじゃないか。肌が黒いこと=面白いことという価値観を発信してしまっているじゃないか。
平成のテレビではまだまだコンプラ意識なんてものは無く、このような価値観を大っぴらに放送していたが、それによる価値観の刷り込みはすごい。肌が黒い人…なかでも特に、海外ルーツを持つ肌の黒い人がそういう世論の中、学校で、社会で、どのような扱われ方をしたか。
ルーツを持たなくてもいじられた経験があるなら、少しは想像力を働かせてほしかった。「お育ちがいい」なら。
自分たちのファンにも海外ルーツの人がいることを、知らないわけではないのに。ていうか君ら、海外進出意識してたじゃん。なら一層分かってなきゃだめだろ。
それはいけなかったのだと是正されているのが今なのに、よりによって周回遅れを行かないでくれよ。自分の好きな人が誰かを踏みつける価値観を発信する側にならないでほしい。最悪自己保身のためでもいいから「お育ちがいい」ふるまいをしてほしいのだ。
…こうやって「お育ちのいい」人に期待してしまう自分が、つらい。「お育ちがいい」ならこれくらい考えてくれよ、これくらい想像力を働かせてくれよとキリキリして、誰よりもお育ちの良し悪しにこだわって押し付けてしまうのが、つらい。
彼らも人間だから間違えることはある。でも、その間違いが致命的に誰かを踏んでる場合、それをなあなあにすること以外オタクには求められていないのが、つらい。ごちゃごちゃ言うならとっとと降りろよと思われるのが、つらい。
世間が「お育ちがいい」と彼らを褒めるとき、マイノリティを踏む発言もまるっと込みで受容されているようで、つらい。「お育ちが悪い」を笑える推しが、つらい。それでも彼らのことをだいすきな自分に酔ってるだけのようで、つらい。
こんなことをつらつらと書きながら、結局彼らには成功してほしいから表立って問題にしようとはしない、姿勢の一貫していない自分が、つらい。
中卒である
ゲロブスに属す 女
親は甘い 働けとは言うが強要はしない
本題、暇
趣味はあった
それも幼稚な
最近はすっかり飽きた
春ごろ、久々にどっぷりハマったコンテンツがあり、二次創作で絵やssを書いていた
SNSでもそれなりに見てもらえて、たのしいぞ〜続きを書くぞ〜と意気込んだりもしたが、
トンズラこいて3ヶ月
暇
不登校のまま6年以上経っている
引きこもりという自認はなかったけど、気づいたら月イチの定期検診以外で外出していない時もある
暇暇暇暇
感性も鈍った
アンテナが出ていない
本を読んでいてもつまらない 話が頭に入ってこない 想像ができない
夏バテだと思っていたのに、涼しくなってもこれ
いよいよ終わってきたか?
さみしい
人肌恋しい
コミュニケーション能力がない
SNSすら壁打ち 今は呟くこともない
閲覧用のアカウントはある
おすすめ欄を見ながら、活力溢れる人間に触れて憂鬱になる なんだかんだでレールに乗って生きている卑屈な人間も同時に見る
孤独が増す
焦燥感も
もっと前、VRchatをやった時期がある
初心者マークがついている間は世話焼きな人が話しかけてくれるが、そのカードを失ったらダメになるなと思った
ずっとチュートリアルを眺めながら首を傾げている奴をやっていた
なので見た目をチョー可愛くして自作なんですぅ〜とかって話題で行こうと思い、3Dモデルを作ったが、作って、満足して、VRchatは飽きた
そういえばツイッターで、「オタクはオタクやってる時のドーパミンに依存してるからオタクやめると死に近づく」みたいな投稿を見た
まずい
先日、家で2週間1人の時間があった
掃除も洗濯も料理もゴミ出しも、やりたいと思った時にやったらやれた
問題がない
さみしい
後半は非常に死にたくなった
親がいなくてたったひとつの居場所を感じられずさみしくなったのではないか
いよいよバイトとか行く時期かと思ったけど、親が帰ってきたらその気は失せた
そして今もまた怠けている
することがない
母の弁当が美味い
同年代は絵が上手すぎて恐れ入る
誰とも馴れ合えない
誰とも馴れ合えない
ボイチャとかしたいけど、ニートの集まりとか言っといてきちんと足動かしてる奴ばっかだよ
お隣さんがピンポンしてきた お裾分けである 親は愛想がいいのでたまによくある
これはアレで〜こっちは早く食べて〜とか話してたけどほとんど覚えてない
帰宅した親には全部早く食べたらええと思うと言った
そういえば定期検診ですら全然話を聞いていなかった
担当医が産休に入るので来月から変わりますって話で、その場で来月だったか再来月だったか忘れて、聞き返しもせず帰り、結局今月にはもう担当医が変わっていて、もっと感謝伝えたかったなとか思った
やっぱりバイトもできる気がしない
ネットで働けよと言われても全く心が動かない
人に会うとわりと普通と言われる
世辞か?
でもわりと普通なんだよな
親は職場で同世代を見て、アンタよりヤバいのいっぱいおんでとか言う
ちょっと嬉しい
働いたら、金が入って、遊んで、全部解決しそうだとは思う
思うだけ 確実じゃないから踏み出せない
暇ですね
で?
働けば?
って思っただろ
暇空は「女」や「40代の暇空から見れば実質女みたいな若い男」には負ける法則があるが、「同年代もしくは年上のおっさん」相手には勝率が高い
神原は57歳、計算したところ139%の確率で暇空が勝訴できる歳の差だ
神原が訴えられた要因は主に2つ
一般人が法に則って公的書類の開示を求めただけなのにハラスメント扱いするのは名誉を傷つけられたと暇空は主張
暇空の仁藤への言動は後の訴訟において「違法嫌がらせ」つまりは「イリーガルハラスメント」と認定され「リーガルハラスメント(合法嫌がらせ)」はむしろぬるい表現となっている
とはいえど、それらの判決が出たのは暇空が神原を提訴してからだいぶ後のことだ
まだ結果がわからず、暇空が純粋に「疑惑を追求するだけの一市民」だった時期に晒し者にするような会見を開き強い言葉で非難したのは、神原が悪だと判断される可能性は139%だ
タコ部屋デマについて、暇空本人が反論する前に反論してくる信者は、1人もいないだろうと予言しておく。
暇空の弁護士の垣鍔晶が「カルピス」という名で活動していた頃、「神原はネット弁慶、リアルで見ると大したことない」と言っていたのは神原が別件でもTwitterでこういう発言しがちなせい
暇空本人を直接罵倒してはいないが、「脳みそのない家畜の群れしか信者につかないようなアホ」と間接的に暇空を侮辱している
流石にこれはワードが強すぎる
これは139%暇空が勝てる
勝てなかったら暇空信者は脳みそのない家畜ということになってしまう
暇空の側近たちはアルパカ・豚・猫・熊・たぬきなど妙に動物の名前の者が多いせいでシャレにならなくなる
控訴したものを除けば、暇空とcolabo関係訴訟は今回で一段落つく
今まで全部負けていたが、神原は強い発言をしがちなのでこれは流石に勝てる
勝てなかったら笑えよ
大泣きという表現では到底足りない嗚咽混じりの泣き方だった
ワイはコレを明らかに成人している女性が京都の誰でも知ってる繁華街交差点で信号待ちの最中に始めたのを見たことあるやで
格好も風貌もそういうものを全く予期させないような人物だったので驚いた
連れの同年代ぽい方も大変やなぁとおもった
性加害でスポンサーや冠番組が激減する前の、他社のイケメンや男性アイドルを存在しないものとして排除し地上波で君臨していたジャニも末期はこの惨状だからな
【調査リリース】YouTube利用動向調査 利用率9割、男性は学び系・女性は熱量高く多様な動画を視聴 20代~30代の約3割が休日に3時間以上利用 ショート動画に代替されにくい“ながら見”コンテンツが若者に人気
女性は年代ごとにバラエティが豊かです。20・30代女性はゲーム実況、お笑い系のほか、VTuberグループ「にじさんじ」と、同グループに所属するVTuberのチャンネルが複数ランクイン。これらのVTuberはゲーム実況動画の投稿も多いことから、その文脈で見ている人が多いことや、推し活的な要素が強いことが考えられます。続く30代女性はさらに多様なゲーム実況チャンネル、40代女性は俳優・大食い・整体・料理系など幅広いチャンネル、50代女性はジャニーズチャンネルなど、多様な嗜好性がうかがえました。
1クールを全部見終わった
今みるとやっぱいろいろきついなと
2クール目もがんばって見たい
普通なら3枚目とかサブキャラポジになるキャラデザなのにメイン王子様になるとはおもわなんだ
まあ声は井上和彦だけどさ
基本的にSNSやネットを見てニヤニヤして過ごしてるけど、争い事にはあまり近づかず、趣味が合う人の投稿とか気持ちが明るくなるものを選んで見ている。読書したりもしている。
ライブを聴きに行くのが趣味なので、同好の士と和気藹々と語ったり、みんなで集まって飲んだりすることも多い。
同年代よりも、少し年上の50代半ばやアラ還の知り合いが多いので、いろいろかわいがってもらっている。男女問わず独身の知り合いも多いし、既婚者の知り合いもその年になると子育ての手が離れているから楽しく一緒に遊んで過ごせているよ。
趣味つながりの知り合いが多いので、飲み会の誘いも多いし、飲み会の幹事を任されることもあるので、行きたい店の情報収集もよくしている。
いろいろスキルアップもしたいけど、勉強はサボってるなー。いろんな業種の知り合いがいるので話を聞くのが面白いし刺激になる。
やりたいことはたくさんあるけど、毎日が忙しくてなかなかね。
1人でライブ遠征に行くこともよくある。たいていのところは1人で行くし、各地の知り合いと落ち合って飲んだりしている。
単独行動はすっかり慣れました。
こんな私でも、10年前までは精神疾患を患って闘病していたので、知り合いや友人がほとんどいなかったけど、健康を取り戻して趣味を満喫して10年経ち、たくさんの知り合いに囲まれて楽しく過ごせているから感謝だよ。
これが元になったソースだと思うんだけど
で、やんや言われてるのは
18〜39歳が2019年に50.7%だったのが、2024年に41%に落ちてるから
ただ、そもそも何で割合で語ってるんだよってところがおかしくて
来園者数
年代 | 2019 | 2024 | 増減 |
4〜11歳 | 495万人 | 369万人 | ▲126万人 |
12〜17歳 | 420万人 | 341万人 | ▲79万人 |
18〜39歳 | 1650万人 | 1128万人 | ▲523万人 |
40歳〜 | 690万人 | 913万人 | +223万人 |
2024年:2750万人
2019年:313万人
2024年:349万人
と、そもそも全体の来園者数がかなり減って、メインで減ったのが18〜39歳だが、40歳以上はむしろ増加していることが分かる
なお、客単価は上がっている
2024年:16644円
2019年:5292円
2024年:8229円
であった
2019年時点でも、大人7500円、中人6400円、小人4800円と考えると、年パス勢が含まれていることが分かる
ちなみに、人口構成比が変わったのかもしれないと思って2019年と2024年の年齢別人口を比較したが思ったより変わってなかった
・減った内の年パス勢の人数が多いのではないかと推察する(そういう意味で離れたのかは疑問が残る)
・40歳以上はむしろかなり増えている、若者が離れたと言うより中年が増えた
・2014年から年間来園者数が3000万人を超えていて過密だったが、今は2700万人で落ち着いている。2000年代の頃に戻った形
https://news.mynavi.jp/article/20230821-2751197/
年代では1位が「50歳代」(40.6%)、2位が「40歳代」(22.3%)、3位が「60歳代」(17.2%)
氷河期世代の男性が店員に加害行為をしているが、氷河期世代の男性の男性は被害者で弱者なのでやさしくしてあげましょう
氷河期世代の男性は「ゆとり世代」「女性」を散々叩き笑いものにし、ネット上でつるし上げ、芸能人を罵倒して開示請求されているのも氷河期世代の男性がとても多いですが
かわいそうな人は許すべき
増田は40代前半。新卒はまさに氷河期でSESに就職していらいIT業界に居続けています。転職は数回経験済み。
新卒や20代からの氷河期への侮蔑を感じる。努力不足って感じの。
でもそもそも20年前と今じゃITも含めての周辺環境が違いすぎるのに努力不足の自己責任って言われるのはやっぱ納得がいかない。戦国時代の合戦見て「俺なら~」言う感じのなろう系かよ
まずこれ。転職をなんとも思わなくなった。20年前は同業他社でも転職は難しかった。新卒辞めて出来るのは公務員試験とかかドブラックへの就職のみ。今以上に年齢と能力が釣り合わない募集しか出てなかった
イメージとともにしやすさも一気に変わった。紙の履歴書と職務経歴書なんて消えた。今も求める企業はたぶんヤバい。アプリやサイトで申し込みしやすくなった。昔のような自分の足で見つけるとか人脈が無いと見つけられないとかがなくなった。
やっぱ残業が消えたのは大きい。今もあるところはあるだろうが奴隷の鎖自慢か上が下手なだけ。時間があれば何かに取り組む余裕は出る。
自分の新卒の頃はJavaがメインだったが、今のPythonやJavascript、各種フレームワーク、Dockerとかってとにかく分かりやすい。C#は相変わらずだしMSのドキュメントは未だに読めないレベルだが、要は興味を持ってスキルアップしやすい。あの時代にJavaを理解できて高められた人は努力とかでは片付けられない。
主にユーザー側。馬鹿が居なくなった。20年前はほんとIT音痴が多かったのでプロジェクト破綻は当たり前、そしてユーザーが強かった。精神が安定するのは何かをなすのには最重要。
特にノートがそれなりの性能と価格になったのは良い。プログラム稼働環境も高スペックを必要としなくなった。自宅で勉強しやすくなった
ネットで情報収集や勉強するにも負荷だった通信料もだいぶ安くなった。というかほぼ無料。
やっぱ色んな情報がネットに集約化され、更に正誤も判定され質の良い情報を簡単に無料で手に入る用になった。結果回り道が発生しない最短最適化のルートをたどることが出来るようになった
1コ前とおなじになるが、資格の取得も最適解がもう見つかって実務経験0でも高度資格取れるようになった。詰め込みの可否はともかく20年前のような個人で五里霧中な勉強はもはや無い。
今の世代が1の努力する5倍の手間と努力で同じ1の成果を得たのが氷河期世代。それに対して「なんで1の努力しなかったんですか?」って言うのだからわかりあえない
でも「1の成果のためには5の努力必要だったんだよ」って言っても時代の空気もあるので理解してもらうのは難しい。ほんと1程度の努力で1の成果がもらえる君等が羨ましいし、氷河期世代を自己責任という同年代と上の世代は大半0.5の努力に4.5の親と運だからマジで害悪
自分はもう結婚願望もないし、家庭を持つなんて来世の話だと思っているんだけど、この前自分以外全員彼氏彼女持ちの友人たちと飲みに行ったときに「彼女作らないの?」と聞かれたのを機になぜこうなったのかを一つずつひも解いてみようと思った。
まず恋愛の仕方、交際の仕方、これを知らないまま大人になると大抵ろくなことにならず、人生に多大な影響を及ぼす。
自分が所謂「弱者男性」の部類に入るんだけど、高校のころに好きになった女子に告白をして失敗した過去がある(今思えば立派な性加害だ。)
大人になって「いきなり告白をするのは性加害と変わらない」」 「そもそも告白というのは最終確認行為であり最初に行うものではない」ということを知り、答え合わせが遅かった。これを知った頃にはもう取り返しがつかないのだから。
社交性のある健全な人間というのは早ければ小学生で「恋」というものを知り、それがお互いを異性として認識し好意の確認をしあう(幼稚園児では流石にこれを理解できない)。
晴れて両想いになったになった男女は一緒に登下校をしたり、休み時間や放課後遊んだり、簡単なプレゼントを交換し合ったりする。ここで恋愛の勉強をするのだ。異性との会話、どうやったら相手に喜ばれるかの観察、何をしたら嫌がるかの経験・・・
中学に上がるともっと具体的になり、スマートフォンでやり取りをしたり、休日一緒に出掛けるようになったりする。ここでもまた勉強だ。
高校に上がれば性行為に及ぶカップルも出てくるし、時間やお金、自由がさらに増える。
大学や専門に行くにつれて成人になり、「恋人」の関係から「結婚」を見据えてきたり、同棲を始めたりする者も出てくる。
社会人になってしまうと同年代、または気の合う異性を見つけるのは困難になる。しかしそれでも今は趣味のコミュニティやマッチングアプリが充実しているから、そこで相手を見つける者もいる。
ここで一つ問題が出てくる。社会人は子供ではないということだ。
恋愛の勉強は通常高校まで、遅くても大学までに身に着けておく必要がある。
マッチングアプリや合コンに来る人間は皆「恋人」を探しに来ている。(ヤリモクもいるだろうが・・・)
だから学生時代に恋愛経験が必要なのだ。はっきり言って高校までの恋愛は大人になって健全な交際をするための「練習」にすぎない。もちろん高校からの付き合いで結婚する夫婦も世の中にはいるがそれは例外だ。
高校までに「異性を不快にさせないアプローチ」「2人きりでの会話」「異性の喜怒哀楽を観察する」「適切な性知識」「流行のファッション・メイク・ブランド」「自分の身だしなみ」などを身につけておかなければならないはずなのだ。
大学生からが「本番」といっても差し支えないだろう。高校までに経験した恋愛知識を発揮して気になる子にアタックして、交際。ダメだったら次、大学時代に彼女ができなくてもその経験は社会人になってからでも生かせる。
この経験なしにいきなり恋愛未経験者の童貞弱者男性が「俺もマッチングアプリで一発逆転狙って・・・!」と参入するのは愚かでしかない。
お前には無理だ。女性と1対1で何を話すんだ。
相手にされる女性も女性だ。「こんなことも知らないの?」と思われ、Twitterに晒されるのがオチだ。女の勘は鋭いので「練習台にされてるな」と思われたら終わりだぞ。
むやみやたらにマッチングアプリに手を出さない方がいい理由がこれだ。恋愛未経験者は100%成功しない。彼ら彼女らは練習をしに来てるんじゃない。相手を探しに本番に臨みに来てるんだ。
それでも関係なしにマッチングアプリで経験を積めばいいと思うかもしれないが、それまでに何人の女性に不快な思いをさせなければならないのか考えるだけでめまいがする。自己嫌悪にもなるし、これだけ男女対立が激しい世の中なのでマッチングアプリでのクソ男エピソードを漫画化されて10万いいねくらいされたものがおすすめタブに流れてくるのが目に見える。
20代も後半に差し掛かろうという男が「すいません、恋愛の仕方が分かりません」「女性には何をあげたら喜ぶ?デートには何を持っていった方がいいのか?ここまできたがこれって脈ありなのか?」という相談を人にするのはあまりにも滑稽すぎる。
もしこれ読んでるお前が友達に25歳にもなって「自転車の乗り方がわからない」と相談されて補助輪つけてんのに用水路に突っ込んでるの見たらどうする?見捨てるだろ、そういうもんだ世の中は。
自分は風俗によく行くんだけど、そこで実感したのが風俗嬢との会話すらあまり持たないことだった。自分の持つ会話のデッキがあまりにも少ない。もちろんあっちもプロなので自分と会話をしてくれるし、何か聞かれれば話すしそこから盛り上がることはあるけれど、こっちから話題の提供は難しい(天気とか一般的な時事の話とかをするのが関の山)
「会話がつまらない」って本当に致命的なのだ。この時にはじめて「自分ってつまらない人間なんだな」と自覚した(遅すぎる)。
自分がよく行くコミュニティにも女性はいるけれど、あまり関わりを持たない。いや、持ちたくない。
下心があると思われるのも嫌だし、自分と話してもつまらないだろうし、不快にさせたらまた性加害だなんだになる。ので、あまり関わりたくない。学生時代に異性と関われなかった、交際をしなかった代償を今もなお払い続けている。
はてな界隈では大学進学、東京で正社員就職、が人生の既定路線として語られています。
しかし現実には大学進学率は60%、東京の昼間人口は日本全人口の13%に過ぎません。
社会の底辺を占める人々をはてな民が認識していないのは社会の階層化が進んだ結果でしょうか。
底辺層も日々普通に暮らし、納税し、選挙では一票を持っています。人生の夢や目標があります。家族がいて子供を育てています。
と、大上段で書きましたが、本音は奨学金をめぐる小泉進次郎氏や河野太郎氏の発言を聞いて底辺層が理解されていない現状・軽んじられている現状に苛立ち、一旦吐き出したい気持ちで書いておきます。
他の党首候補の皆さんも同じですが、奨学金を借りる層を最底辺と思われている節がありますが、その下には借りることを諦める層もいるという話です。
先祖は父方母方共に学がありません。
明治から大正にかけては博打打ち、物乞い、自転車修理などをしており、ホームレスもいたそうです。
昭和に入ると建設作業員、工場労働、トラックドライバーといった職業に就いていました。
戦災や仕事のために西日本を転々とする中で、1991年(平成3年)に中国地方の片田舎でわたしが生まれました。
通っていた公立小学校は治安が悪く、男子生徒が徒党を組んで女性教諭に暴行を働いていました。いじめも多く、暴行や、習字の墨を顔にかける、アルコールランプで服を燃やすといった事件が頻発しており、小3から小6は学級崩壊状態でした。
わたしはイジメが怖いのでなるべく不良に関わらないように逃げ回っていました。昼休みは校舎の裏の木陰に隠れていました。
小6の算数は教科書が半分くらいしか終わりませんでした。この傾向は中学まで続きました。
地域には公営団地が多く所得の低い世帯が多かったため、半袖半ズボンがトレードマークとなっている生徒はわたしの他にも数名いました。
学級崩壊が継続していました。不登校が学年の一割ほどにのぼっていました。
中2の頃に母が体を壊して働けなくなり、経済状況が一気に悪化しました。
1日3食食べられなくなったので、給食のパンを持ち帰り夕食にしていました。土日やパンがない日は近所のミスタードーナツのゴミ箱から廃棄のドーナツを拾って食べていました。
栄養不足のためか、朝礼や体育の授業で倒れることが頻繁でした。
父が電気部品組み立ての内職を持って帰ってくるので、毎晩手伝っていました。ノルマは1日500個で、2時間ほどかけて作ります。家電メーカーに納入されていたとのことなので、皆さんのご自宅のエアコン、冷蔵庫などにわたしが組み立てた部品が入っていたかもしれません。
同級生のあいだではワンピースやハンターハンターといった少年漫画、マリオカートやポケットモンスターといったテレビゲームが人気でしたが、わたしは33歳の現在に至るまで一度も触れたことがありません。
給食がなくなったためミスタードーナツのゴミ箱あさりが毎日のルーティンになりました。なぜミスタードーナツなのかというと、家が近いことと、完成状態で捨てられていたためすぐに食べられたからです。たまに廃棄を入手できなかった日は別の飲食店をあたるか夕食抜きです。
「大学」という施設があることを高校1年生のときに知りました。当時知っていた大学は東京大学、慶應大学の2校です。なぜ慶應かというと当時「学校へ行こう!」というテレビ番組でco-慶應という学生ラッパーが活躍していたためです。
わたし自身が大学に行くかは分かりませんでしたが、文系・理系の選択で文系コースを選びました。
高校2年に上がると学校で全国模試を受けることになりました。毎回全国で2500番〜3000番くらいにランクインし、成績優秀者の冊子に名前が載りました。
模試を受ける際には志望校を記載することになっています。そのときに初めて知ったのですが、大学というものは全国各地に数百校あるらしいと分かってきました。
担任の先生は大学進学を熱心に勧めてくれました。「もしかしたら東京大学や京都大学にさえ進めるかもしれない」…と。大学進学すべきかわたしは迷いました。
担任や、数学の先生、英語の先生が私を放課後に呼び出して、食べ物や飲み物をくれながら、大学進学するように勧めてくれました。
しかしわたしは大学進学しないことに決めました。理由は一点です。
ましてや、実はわたしは既に借金を背負っていました。貧乏で公立高校の学費を支払えないことから、親が銀行から毎月1万円借りており、計36万円を私が将来返済することになっていました。
加えて、担任が試算してくれたプランでは学費(減免の可能性あり)、実家を離れて暮らす生活費が合計毎月10万円ちかくにのぼり、本当にわたしが想像できない金額でした。
学費は減免の可能性がある、最低でも半額は狙えるだろうとか、大学進学により生涯所得がうんと大きくなるといったことを教えてくれました。しかし中学生の頃からミスタードーナツのゴミ箱をあさったり電気部品の内職をしているわたしにとっては現実感のない話です。
想像できないほどの金額を返済できるのか。大学進学したとして就職でつまづいたらどうなるのか。この展望を全く持てないために大学進学しないと決めたのでした。
大学進学しないことを決めると、担任の先生が表計算ソフトの教本を無料で与えてくれました。放課後に情報室のパソコンで練習しました。
高卒の就職活動はなぜか一社しか志望できないというルールが当時あり(現在も「一人一社制」という名前でルールが残っているようです)、わたしは地元の和菓子屋に接客・兼・事務として就職しました。1学年440名中就職は2名で、他438名は大学等への進学という比率の高さに驚いたことを覚えています。
その後父母が鬼籍に入ると、わたしは実家を離れていくつもの会社を転々としています。今では全く別の職業で生活しています。
身軽になった今、あのとき大学進学していれば違う人生があったのだろうかと想像することがあります。
わたしに借金を背負う覚悟がなかったといえばそれまでですが、やはり当時のわたしには覚悟は不可能だったと思います。未成年ができる決断ではない。
河野太郎氏は大学教育費を親負担ではなく本人負担に変えよと述べましたが、貧しい世帯は既に生活費も含めて全額本人負担です。むしろ本人が負担しきれないことが問題なのです。
小泉進次郎氏は必ずしも大学進学の必要はなく手に職を付けよと述べました。しかし転職の多いわたしが言うことでないかもしれませんが、手に職系の仕事も簡単ではありません。
大抵のひとは5年〜10年も同じ仕事を続ければ成長が止まります。しかも年齢を重ねると体に無理が出てきます。かといって独立して料理人が自分の店を経営するとか、建設作業員がひとり親方として営業していくには「手に職」と別種のスキルが必要となり、現場の人間のうちそれができる者は一握りです。
残された道は若手・外国人材・機械化との低賃金チキンレースです。
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