はてなキーワード: ツイッターとは
ツイッターで全通オタクはドーパミン依存だってさ〜てのがすっごい伸びてたけど、依存症でオタクやっちゃうのはまあ、自然というか、しょうがないことだよ。そういう場合のオタクは「症状」で、しようと思えば「治療」もできる。
じゃあ、ふつーに働き、貯金もして、他にもいろいろ趣味がある。心身健康。その上で全通オタク。そんな人間は?
教育関係の現場で、ある先生が「どの教科をやるにもとにかく読解力が大事です! 学歴を左右するというデータもあります! 大人になってからは取り返しがつきません!」って熱心に言ってた。
こういった話は、新井紀子氏がRSTを使った実験の成果を世に広めて以降流行った印象がある。「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」という本でも有名である。
自分は本は読んだことないのだが、氏の講演を聞いたことがあるのでだいたいの主張は知っている。その中でも、先述したように、「RSTの結果が学歴と相関がある」という部分が印象に残っている。それと、将来の仕事にも影響すると話していた覚えがある。
まあ確かに、中々言うことが通じず指導に苦労してるときに「読解力無いなあ……」って思った経験はあるから、肌感覚では同意できる。
ただ、これに反する考えがある。それが、ツイッターをちょっと賑わせた「国語・現代文得意な人、予後が悪い説」である。実際、こんなデータもあった。
「国語が得意」は「得意科目が無い」よりも予後が悪いのマジで恐ろしい
https://x.com/mitomislilylove/status/1778318052003840216?t=dA5S6eZeNmaQHJ-ni-RKCA&s=19
これまた自分は肌感覚で同意してしまう。というのも、自分自身が、「国語、特に現代文はなんかできるがそれ以外がパッとしない」タイプで、実際良いとは言えない人生送ってるからである。
はてな関連の有名人だと、社会不適応の経験をよく書いている黄金頭氏も国語が得意だったようだ。
RST側の問題を疑うなら、出題範囲が教科書や新聞の文章であるが故に、その知識があるとゴリ押しできる問題が多少あるのかもしれない。それ故に、教科書や新聞の知識→RSTの点数という因果関係が生じてしまっている可能性がある。
何かしらの手段で知識を一切使えなくしたRSTを開発して、そちらでも学歴などとの相関を検証してくれないだろうか。
「国語・現代文得意なやつ、負け組説」側の問題を疑うなら、このデータはあくまで得意教科をアンケートで聞いたものらしく、「全部苦手だけど国語だけちょっと高いのでが得意と言った」って人が多かった可能性がある。
中卒である
ゲロブスに属す 女
親は甘い 働けとは言うが強要はしない
本題、暇
趣味はあった
それも幼稚な
最近はすっかり飽きた
春ごろ、久々にどっぷりハマったコンテンツがあり、二次創作で絵やssを書いていた
SNSでもそれなりに見てもらえて、たのしいぞ〜続きを書くぞ〜と意気込んだりもしたが、
トンズラこいて3ヶ月
暇
不登校のまま6年以上経っている
引きこもりという自認はなかったけど、気づいたら月イチの定期検診以外で外出していない時もある
暇暇暇暇
感性も鈍った
アンテナが出ていない
本を読んでいてもつまらない 話が頭に入ってこない 想像ができない
夏バテだと思っていたのに、涼しくなってもこれ
いよいよ終わってきたか?
さみしい
人肌恋しい
コミュニケーション能力がない
SNSすら壁打ち 今は呟くこともない
閲覧用のアカウントはある
おすすめ欄を見ながら、活力溢れる人間に触れて憂鬱になる なんだかんだでレールに乗って生きている卑屈な人間も同時に見る
孤独が増す
焦燥感も
もっと前、VRchatをやった時期がある
初心者マークがついている間は世話焼きな人が話しかけてくれるが、そのカードを失ったらダメになるなと思った
ずっとチュートリアルを眺めながら首を傾げている奴をやっていた
なので見た目をチョー可愛くして自作なんですぅ〜とかって話題で行こうと思い、3Dモデルを作ったが、作って、満足して、VRchatは飽きた
そういえばツイッターで、「オタクはオタクやってる時のドーパミンに依存してるからオタクやめると死に近づく」みたいな投稿を見た
まずい
先日、家で2週間1人の時間があった
掃除も洗濯も料理もゴミ出しも、やりたいと思った時にやったらやれた
問題がない
さみしい
後半は非常に死にたくなった
親がいなくてたったひとつの居場所を感じられずさみしくなったのではないか
いよいよバイトとか行く時期かと思ったけど、親が帰ってきたらその気は失せた
そして今もまた怠けている
することがない
母の弁当が美味い
同年代は絵が上手すぎて恐れ入る
誰とも馴れ合えない
誰とも馴れ合えない
ボイチャとかしたいけど、ニートの集まりとか言っといてきちんと足動かしてる奴ばっかだよ
お隣さんがピンポンしてきた お裾分けである 親は愛想がいいのでたまによくある
これはアレで〜こっちは早く食べて〜とか話してたけどほとんど覚えてない
帰宅した親には全部早く食べたらええと思うと言った
そういえば定期検診ですら全然話を聞いていなかった
担当医が産休に入るので来月から変わりますって話で、その場で来月だったか再来月だったか忘れて、聞き返しもせず帰り、結局今月にはもう担当医が変わっていて、もっと感謝伝えたかったなとか思った
やっぱりバイトもできる気がしない
ネットで働けよと言われても全く心が動かない
人に会うとわりと普通と言われる
世辞か?
でもわりと普通なんだよな
親は職場で同世代を見て、アンタよりヤバいのいっぱいおんでとか言う
ちょっと嬉しい
働いたら、金が入って、遊んで、全部解決しそうだとは思う
思うだけ 確実じゃないから踏み出せない
暇ですね
で?
働けば?
って思っただろ
(追記)
こんな文章が、思ったよりもバズってびっくりしたので、ツイッターで「フレンチ自作沼(アカウント名は@French_jisaku)」というアカウントを作成しました。
フレンチ自作界隈の人がいたらフォローしてもらえると嬉しいです。
おおよそ素晴らしいことが書いてあるけど③だけ解像度が低い気が…というのも、料理というのは基本的には科学と同じで味に再現性を持たせる必要があり、そのためには分量を正しく理解し守る必要がある(この分量の正確さをレシピなしでも把握できているのがプロ)。その上で、③では"短時間だとミスった時のリカバリができず"とあるけど、正確な分量を計って料理をすれば大きな失敗はなく連鎖的に料理が崩壊することはまずあり得ない。短時間の作業でのミスとして、例えばイタリアンならカルボナーラの卵に火を通し過ぎる等の失敗はあるかもしれないが、少なくともそれで全体が大きく崩れることはない。
”崩壊”という表現は強かったな、というのと、単に私がインド料理や中華料理にそこまで沼ってないからかもしれません。
これを書いた時に脳裏にあったのはスパイスのテンパリングでした。スパイスのテンパリングは、スパイスごとの香気成分抽出温度がすごいシビアかつ、そこをのがすと苦い種になってしまうという実感があったので、テトリスに近いな、という印象を持っていました。
イタリアンのパスタの場合も、フレンチに比べると複数行程同時並行かつ短時間で仕上げるので、ルポゼの間にソースを仕上げればOKのフレンチよりはシビアな印象がありますね。
お客さんに作り方聞かれても説明できないよ
フレンチを作り始めればわりと用語は覚えるかな、と思ってます。なぜなら私がそうだったからです。
動画を見て、レシピ本を見て、実際につくっていくうちにミジョテとかシノワ、パッセ、タミゼ、クラリフェ、リソレ、アセゾネとかその辺の頻繁に出てくる用語は自然に覚えるんじゃないかなと思っています。
なので、これを読んだ人はあまり気にせずにフレンチを作るところから始めてもらえると嬉しいです。
別に店に行ってシェフに話しかける必要だってないです。多分作ってると店にはいきたくなるとは思いますが。
日本の一般大衆にレストランのフランス料理を作ることなんて勧めるもんじゃない
勧めるなら家庭料理
一生ものの沼としてのフレンチを紹介したかったので、家庭料理を入り口にするアプローチはやめました。
まず家庭料理だと、プロの味を食べて自作との差分を楽しむことができないのが一つ。
あと、ミクニさんのレシピもそうですが、基本的には短手番なレシピが多いので、時間が溶けていくような趣味にはならないかな、という理由もあります。
あと、誤解なきようにお伝えしておきますが、自作をどこまで極めてもプロを超えることはないです。
理由は三点あって、
①そもそも調理技術で絶対にかなわない:せいぜい二か月に一回作る素人と、365日作っているプロではまったく比較にならない技術差があります。
②フォンやソースは大ロットで作ったほうが美味しい:ソースやフォンの味と仕込む量は比例するため、一回に10L仕込むプロと、せいぜい1Lしか仕込めない素人では味に差が出ます。
③入手可能な食材品質に差がある:プロが扱う品質の食材を一般人が入手することは極めて困難です。例えばジビエ。プロは契約した猟師さんから送ってもらえますが、素人は楽天で買うしかありません。魚もピンのもの(例:分厚いアマダイ)は素人向けには販売していません。
ただ、あくまで趣味なので、プロの味を超えられなくても、何ら問題ないと思っています。
藤井くんに勝てると思ってやっている将棋沼の住民はいないでしょうし、ツールドフランスに出場できるとおもっているロードバイク沼の住民もいないでしょう。
(本文)
https://anond.hatelabo.jp/20240925202106
元記事はこれ。この増田、ならびにこれを読んで高い飯を食ってみたいなーとおもった人に、全力でフレンチを薦めたい。
それも、ただお店に食べに行くのではなくて、
という楽しみ方を紹介したい。
・この楽しみ方はある程度の自炊スキルがあることが前提となる。
・具体的には、包丁を多少扱うことができて、強火と弱火の違いが判る、大さじや小さじの意味が分かる程度には自炊ができる人向けのエントリである。
・お店で出てくるような、ある程度本格的かつ王道なレシピのほうがよい。
・具体的には牛肉+ソースボルドー(赤ワインのソース)とか、真鯛+ソースヴァンブラン(白ワインのソース)くらいから始めるとよい。
・あまりシンプルなレシピすぎると②の楽しみ方ができないため、「簡単!おうちビストロメシ!」みたいなのは避けた方がいい。
・具体的には以下の二つのYoutubeチャンネルを見ることから始めるとよい
George ジョージ https://www.youtube.com/channel/UCP2gnyy_-ToZeIDw6qeI6HA
Bocuse at Home by シェフ星野晃彦 https://www.youtube.com/@bocuseathomebyteruhikohoshino
・複雑な料理も避けた方がいい。具体的にはパイ包みやパテ系の死ぬほど複雑で構築的なメニューは、最初は避けた方がいい。100%失敗するのと、複雑すぎてどこが失敗したのかが切り分けできないので。
・①で自分の作ったメニューと同じものを実際に食べに行こう。①の答え合わせの感覚だ。
・いきなりロブションとかのハイエンドなグランメゾンに突っ込むのではなく、ランチで5000円程度の店に行くのが無難。
・なぜならば、この段階ではフレンチへの解像度が低すぎるため、グランメゾンのフレンチを食っても、値段相応のよさがわからないから。
・実際にプロの作ったものを食べるといろいろな気づきがある。なぜなら自分で作ったことがあるので、解像度が段違いになっているから。
・ほとんどのケースでは、プロが作ったもののほうが圧倒的にうまい。なぜか考えるのがこのパートの楽しみ方だ。
・例えば真鯛のポワレ、ソースヴァンブラン(白ワインのソース)を食べたとする。「自分でやると身がぱさぱさになっちゃったな……。火入れの仕方の違いなのか、鯛のポテンシャルの違いなのか、何が違うんだろう。鯛を見た感じ、身の分厚さは変わらないから火入れの仕方が違うのかもしれない。ソースもとっても香りが豊かだな、なんかハーブを入れているのかな……。ソースにはかなり酸味をつけているな、自分でやるときもこれくらい酸味をつけてみるか……。」みたいなことを考えながら食うと、漫然と食べているよりも圧倒的に美味しく感じる。
・厨房が激しく忙しいとき以外は、「とっても美味しかったです。もし可能なら、シェフに話を聞きたいんですが……」といえばだいたいシェフに話を聞ける。
・自分が美味しいと感じたポイントと、どうやってそれを実現しているのかをシェフに尋ねてみよう。③で自分で分析した内容の答え合わせをするのだ。
・鯛はどう火入れしているんですか?(フライパンだけ?フライパン+オーブン?)とか、聞きたいことは山のように出てくるはず。
上記①~④を繰り返す。最初は比較的難易度の低い料理から始めて、だんだんと複雑な料理にステップアップしていく。
多分二年くらいやってから、いわゆるグランメゾンにいくと、その高度な技術と美味しさ、芸術的なまでのアイデア力に感動するはず。
この項目では、なぜカレーでも中華でもイタリアンでもなく、フレンチをオススメするのかを説明したい。
・上にはったYoutubeチャンネルを見てもらえばわかると思うが、ソースから自分で仕立てるとなると、平気で二日三日かかる。
・段取りの設計→材料の調達→下ごしらえ(ソースベースの作成、肉のマリネなど)→仕上げ(火入れ、付け合わせの作成)で、週末まるまるつぶせたりする。
・しかも待ち時間もそれなりに長い(ソースベースの作成時など)ので、ネトフリも捗る。
・フレンチはそもそも、エスコフィエとかいうオッサンが100年以上前にフレンチの技術やレシピを体系化し、公開したことで爆発的に広まった料理(いまでいうオープンソース化)。なので、他のジャンルに比べると圧倒的に体系化されていて学びやすい。
・また、日本はフレンチ大国なので、日本語のソースも非常に多い。大型書店で、料理コーナーにいくと、和食の次くらいにフレンチの料理本が充実していると思う。
・他ジャンルに比べると、中級者に進むときの勉強のしやすさが段違いである。例えばカレーや中華にハマるオッサンは多いと思うが、この二つのジャンルは食文化のゆたかさのわりには日本でアクセス可能な学習ソースがきわめて少ない。初級レベルでは問題にならないのだが、深めようとしたときには、日本語文献の乏しさに加えて、そもそも体系化されていないので、学習難易度が跳ね上がる。
・作るときの深めやすさに加えて、食べるときの深めやすさも段違いである。フレンチをやる人は大体みんな調理学校で基本的な調理技術を身に着け、それなりのレストランで就労しているから、安価なお店でも高価な店でもベースとなる技術は同じ場合が多い。
・例えば鮨の場合は、2000円の回転ずしと二万円の鮨では全然別の技術が用いられている。根本的に握り手のキャリアルートが違うからである。2000円の回転寿司はバイトがロボットを操作して握るし、二万円の鮨は専門的な店で修行を積んだ職人が握るのである。一方でフレンチの場合は二万円の店で働いていた人が独立してビストロやって2000円のランチをだしていることは余裕でありうる。
・だが、他ジャンルに比べると美味しい味を作りやすいと感じる。
・これはA.多数の工程を時間をかけて積み重ねていくという調理プロセスと、結果として、B.足し算の料理である、ということに起因する。
A.多数の工程を順に組み合わせていくという調理プロセス:例えば中華(特に四川系)やインド料理、イタリアンは多数の工程を短時間で重ねていくことがおおい。短時間だとミスった時のリカバリができず、連鎖的に料理が崩壊していくことになる。ゲームとしてはテトリスとかぷよぷよにちかい。一方でフレンチの場合は一個一個の作業を丁寧にこなしていけばそれっぽいものができあがる。こっちはマインクラフトっぽい。
B.足し算の料理:フレンチは味の要素が多い。肉のうま味や、ワインの酸味、甘味、バターの脂質やハーブの香りを積み重ねていく料理である。そうすると必然的に美味しさのストライクゾーンは広くなる。食材の持つうま味も苦味も臭みも、すべて一皿に詰め込むのがフレンチの基本思想である。これが和食だとどうか。和食は徹底して引き算の料理である。食材の持つ性質のうち、客に見せたい部分以外をすべて除去し(野菜をゆでこぼすのとかね)、組み合わせるのが基本思想である。味の要素が少ない分、ピントを合わせるのも非常に難しくなる。引き算に失敗したり(例えばえぐみが出るとか)、そもそも見せたい部分を間違えてました、とかね。
・調理学校のカリキュラムとかを見てもらうとわかるけど、大体西洋料理と和食に分かれていて、西洋料理の技術のベースはフレンチである。
・フレンチを一通りやると、肉や魚の火入れも格段に上手になる。小麦粉を使ったルーが使いこなせればシチューやカレーも簡単に作れるようになる。ソースオランデーズが作れればカルボナーラはお手の物だ。
・スタートキット編の楽しみ方を一年くらい続けていると、一通りのものは作れるようになっているはず。
・具体的には、肉の火入れは肉を触ればわかるようになるし、魚も皮をパリッと焼くのはお手の物、くらいにはなっているはず。なんとなく手癖でソースボルドレーズとかソースヴァンブランくらいは作れるようになっていると思われる。
・そこから先にステップアップするなら、プロ(の中でもレジェンドシェフ)の書いている本を読むのが一番よい。
・レジェンドシェフの料理本を読む→作る→お金をためてレジェンドシェフの店に行く→もう一回作る、を繰り返せば無限に時間が溶けていく。
・基本的には近所の大型図書館(住んでる自治体の旗艦図書館)にいって、フレンチ料理本コーナーで厳つい雰囲気を出している奴を手に取ればOK。
・僕のバイブル
・アランシャペルの下で長年働いていたこれまた有名なシェフ。シェフの間でも当初をバイブルに挙げる人は多い。
・辞書的に使うのもよい。また、一個一個ソースを作ってクリアしていくだけでも楽しい。
みんなもフレンチ、作ってみような。
私は四畳半も無い部屋の中、無理矢理吊るしたハンモックに揺られながら、
お気に入りのゲーム実況動画をBGMに、ツイッター(現X)を眺めていた。
すると台所の方から、夜食を物色していたと思われる同居人が、ブツブツと何か呟いているのが聞こえた…。
執拗に、同じ単語を何度も、言葉として発する前に口の中で消えていくような大きさで、
しかし口の端に昇らせなくては気が済まない、といった強い調子で、延々と何か繰り返している。
私は、ヘッドフォンを外し、耳をすませた。
すると、
「シネ……シネ……チーン(電子レンジの音)………シネ………シネ………」
バタン。隣の部屋の扉が閉じた。
こわい……………
特段仲が良かったわけではないが、お互いの価値観に強烈な刺激を与え合い、
相容れない性質を根本では感じながらも、社会人となってからも交流は続いていた。
私が彼女とルームシェア始めたのは、彼女からの提案が発端だった。
新卒の就職先も一緒だったが、私は早々と東京へ転職し、彼女も追って転職した。
しかし彼女は地元の転職先が肌に合わず、私は自身の職場を彼女に斡旋した。
(職場を紹介することの責任は重い。ましてや地元から遠く離れた東京に。
その後にChatGPTを駆使し、「速やかな関係解消への提案条項」を告げられた。
当然である。
正直言って私は浮かれていた。
彼女は美人であり、計算高く、立ち回りが巧妙で、どのような共同体からも爪弾きにされることがない。しかし本心では誰にも心許していないような、
自身が生涯孤独者であることへの諦めを思わせてくる瞬間があった。
そして、私だけはそれを垣間見ることを許されていると錯覚した。
一方で私は、彼女がルッキズムによる蔑視を心から楽しめる持ち主であり、道徳を足蹴にすることを何とも思わぬ性に見て見ぬふりをした。悪辣さは失われているだろうと願った。
彼女の聡明さは自身が被る不利益を詳らかにし、相手を弾劾することにのみ発揮された。
厚意や利益については、子々孫々の既得権益のようにすまし顔で甘受した。
かくして私は、気の置けない友人の座から、家具付家事付名義貸保証人不要都内物件貸出サブスクサービスへと華麗なる転身を果たしたのだった。
平気だったのに…
大きな病気をしてリハビリ中に出会ったSNS知り合いとゲームするようになり
ふたりで遊ぶようになって1年後。
自分も元気になり社会に復帰し、その人は別の友だちを見つけた。
毎日のように遊んでいたのに、その人は別の人としか遊ばなくなり
声をかけても面倒な感じで冷たくされるようになった。
自分でも驚くくらいに執着しているのがわかる。
まずい…。
このままではまずい。
相手には仕事が忙しくなったと言って、なるべくSNSをしないように心がけてみた。
しかし、たまにチラ見えするその人の楽しそうな姿にびっくりするくらい不快になる。
どうしてしまったんだろうなあ自分。こんなキャラではなかったのに、初めてでどうしようもない。
SNSでしかない縁もあったが、この際全部一旦休止してしまうのがいいかな。
寂しさがすごいけど、そのほうが自分の心のためにもいいのかもしれないな…。
どうしちゃったんだろう、自分。
野党立候補者が自分が如何に地域に貢献できるかアピールするようなドブ板やんねーからだよ
幽霊部員みたいなもんだったしどうでもいいよ、と思って放置してる
わざわざ抜けますって表明するほど区切りも無いし、まあいいやって感じ
元々楽しくなくなったら好きなタイミングで離れていいとは言われていたしね
別に楽しくなくなって抜けたんじゃないけど
悲しいとか寂しいとか嬉しいとかムカつくとか全然ない
薄情かもしれない
懐かしいともちょっと違う
残ってるやつに連絡する気もないし、連絡来ることもたぶん無い
誇りでも黒歴史でもない
なんかでも、そういう時期があったなって、久しぶりに思い出しただけの日記
私はかなり体重が重い。去年それでも多少痩せたが、その後また増え始めてしまった。
彼女は私に痩せて欲しいと言う。健康面に不安があるから今後同棲したり結婚したりを考えたら痩せて欲しい、というその思いはよく理解している。
だから私も頑張って痩せようと二か月半ほど前から少しずつ生活習慣を変えて、好きだった酒をやめて食事も野菜中心にし、最近は一度やめてしまったジムにも再度通い始めた。
自分としてはかなり前向きに考えて動いているつもりだ。
そもそも体重が再度増えたのは半年前ぐらいから仕事上の立場が変わったりしてきつくなり精神的余裕を失ってしまったところが大きい。
仕事上の苦労は今でも解決していないが、それでも少しずつでも変えていかなきゃと思ってやれることをやっているつもりだ。
中々上手く行かないこともあるが徐々に身体を慣らして前に進んでいて少しずつ出来ることを増やしていこうという思いを持って頑張っている。
仕事上の立場が変わって大変だという話は以前からしていて分かってくれているのだと思ったが、一杯一杯になりつつも何とかその中で出来る範囲でやれることを増やしていこうという私のスタンスが理解できないらしい。
仕事が大変だろうが他に何があろうが最初から全力でありとあらゆる手段を使って体重を減らすことしか認められないんだそうだ。仕事でどれだけ苦労してるかなんてわからない、と言いながら平気でそんなことを言う。
ジムに通い始めたことについても久しぶりだからまず身体を慣らすためにもやれることからやるというつもりで行ったのに、最低限やることをやって短時間で帰ってきたことが不満だそうでツイッターでも文句を言っていた。
痩せることは確かに必要なことだ。そこは私も認識の齟齬は無いし、事実としてそれに向けて苦しいながらも動き始めている。
しかしこれは当たり前のことだと思うのだが、私を含め誰しも別に痩せるためだけに生きているわけではない。
まず自分の生活をするために、そして今後は稼ぎが多いとは言えない彼女を半分養いつつ頻繁に海外旅行をするとか犬を飼うといった彼女が望むこともして豊かに生きていくためにも、昇進を希望して慣れない仕事に苦しみながらも頑張っている。
一応現時点でも稼ぎは同世代の世間一般よりは結構稼いでいるし、その中から普段の彼女とのデート費を持ったり旅行に行く時は飛行機代や宿代なんかを多く出したりしてきた。今後ももっと良い思いをさせてあげたいと思っている。
だから今は精神的にキツイ時期を過ごしているけれど頑張っていればもっと稼げるようになるし、また徐々に慣れていって楽にもなれるだろうと信じて必死に食いついているつもりだった。
そんな状態で、仕事が終わればもう精神力がすり減っていて新たに何かをやろうという気力もない中でもそれでもなんとか頑張って生活を変えてきたのに、それを理解も納得もするつもりはないらしい。
彼女は「自分は頑張ろうと思えばどんなに辛くても出来ちゃう人間だから、出来ない人の気持ちが分からない」と言う。彼女に言わせれば私は甘えて怠けて逃げているだけなんだそうだ。
でもそれって見方を変えれば単に彼女は限界までやってないだけじゃないの?とも言えるわけで、私がどんな思いで、どれだけ苦労しているか考えもしないままで平気でこんなことを言われて、正直心が折れかけている。
彼女とすれば言うのは簡単だろう。だってやるのは私だから。あれもやれこれもやれなんでやってないんだ・・・信頼していた人からそんな風に言われるようになったのはかなりきつい。
繰り返しになるが、彼女が私に痩せて欲しいと言う気持ちは理解しているし、私も痩せた方が良いと思う。だから好きだったことも頑張って我慢してやめて、前向きに進み始めたところだった。
しかしそうは言っても仕事はじめ他のことをおろそかには出来ないし、その中でやれることには時間やお金はもちろん、精神的にも体力的にも限度がある。
何にどれだけ苦労してどこで限界を迎えるかというのは人それぞれ違うし、例えば私から見てなんてことないようなことでも他人が苦労していることだってあるが、それを見て「お前は全然頑張ってない」なんて言うことはあり得ない。
大変だと言っていれば少なくともその人の中では大変なわけで、それを他者から見てお前は甘えているなんて言ったところで何の意味もないし、そもそも失礼だと私は思う。
そういう話を面と向かってしたのだが、それでも残念ながらなかなか理解してくれる様子はない。
だから彼女に対してどう接したらいいのか正直もう分からない・・・もうお互い30代半ばで、相手の親にも挨拶をしたし同棲や結婚という将来の話もしている以上は若い頃のように簡単にさようならという訳にもいかない。
よく話し合ってなんとか解決したいけれど、相手を尊重するという事に関するスタンスがここまで違う人と一緒に居ることは無理なのだろうかとも思い始めている。あまり先延ばししても良いことも無く、遅くとも今年中に結論を出そうと思う。